【血液型診断】B型の結果がひどいです(差別に繋がる危険性について)
こんにちはもつにこみです。
突然ですが『血液型診断』でこんな経験ありませんか?
・B型と言う理由で微妙な反応をされた
・B型と言うだけで「どんまい」と言われた
・友達がB型と知って反応に困ってしまった。
特にB型の人は共感していただけるのではないでしょうか?笑
今回はそんな『B型不遇の扱い』をテーマにお話しします。
<この記事誰が書いてる?>
本記事を書いている「もつにこみ」自身も『B型迫害』の被害者です。本記事は、血液型の話をされるたびにいじられてきた僕が、実体験を元に執筆します。笑
僕の詳しいプロフィールはこちらかどうぞ👇
それでは行ってみよう!
◾️B型の結果がひどいです。
と言う事で、まず言いたいのは『B型の血液型診断の結果ひどすぎない?』と言うこと。
B型といって喜ばしい反応が返ってきたことはありませんし、むしろ風当たりは強いように思います。
実際、ネットや書籍の情報で『B型の特徴』として出てくるのは以下のような情報…。
・マイペース
・楽観的
・独創的
・個性的
・気分優先 等々
・う〜ん。なんか微妙じゃない…?
僕が思うに、典型的な日本人気質からかけ離れた長所ばかり書かれているせいで『日本人受けが良くない』のだと思います。
実際、過去記事でも紹介しましたが日本人は『空気を読む』能力が他民族に比べ長けています。そういった文化圏の中では、『マイペース』『独創的』とかってむしろ浮いちゃいますよね。👇
※(インカムが苦手)
対して他の型の特徴は、日本人の価値観に割に順ずるものが多いので、『微妙な空気になりずらい』のだと思います。(つまり他の血液型の方はお国柄による後ろ盾がある。)
◾️血液型診断の真相
<血液型診断の歴史>
では、このB型にとっては忌々しい『血液型診断』はどこから始まったのでしょうか?
時は、1927年まで遡ります。
始まりは、1927年に『心理学研究』に発表された『血液型による気質の研究(著:古川竹二)』でした。当時、血液型と性格を結びつけた研究は珍しく<第一次血液型診断ブーム>が到来したそうです。
さらに、戦後になって能見正比古氏が『血液型でわかる相性』を出版したことで<第二次血液型診断ブーム>が巻き起こり、現在に続く慣習となったようです。
また、当時の著名人である『長嶋茂雄』氏などの、「こんなことではB型が廃る」といったような血液による性質を示唆するような発言により、さらにその熱を帯びたと言う背景もあるようです。
・B型尖ったことするな〜笑
<血液型診断の信憑性>
そんな一斉を風靡した、『血液型診断』ですが、当時の論文はかなり無理矢理なところもあったようで、今ではその確からしさは担保されていないと言えるでしょう。今では、『遺伝と生活環境』の影響の方が『人の性格決定』に大きく関わっていると言う学説が主流ですね。
実際、海外でも『血液型診断』なんてものは全く流行っていませんし、本当に相関関係があるならばもっと研究されてもいいはずです。
そんな、不確かなデータや根拠を元に行う『B型批判』は楽しいですか?
このような浅はかな人からの『B型批判』を真に受ける必要はありそうですか?
不確かなデータで一喜一憂するのは今日でおしまいです😌
もちろん、雑談程度に『血液型診断』を楽しむのは全然肯定派なんですが、『B型の人は必要以上に身構えている』かもしれないことだけは、知っておいて欲しいのです。
・血液型診断は…、ありますっ!(小○方)
◾️拡大解釈で捉える『B型差別』
まあ、上記の内容なんて『ある程度わかった上』で楽しんでんだよこっちは!
なんて声が聞こえてきそうですね。笑
僕も、わざわざ取り立てて記事にする必要はないって思ってました。
ただ、たまたまネットニュースで『コンパでB型と伝えると切られるから嘘をついている』と言うのを見かけるまでは。(それに対する共感の声も少なくない)
血液型の違いで、嘘をつかされる。自分らしさを喪失させられる。迫害される。
これって拡大解釈すれば、『ホロコースト』と変わらないんじゃないか?って思っちゃったんですよね。
『B型じゃない』と言う絶対的な盾を持ってして、『B型をいじり倒すことを楽しんでませんか?』
人によっては冗談では済まないかもしれない。踏み絵や人種差別もこうした些細な差別から生まれたのかもしれない。
そんな、想像力を働かせられる人が増えるといいなと僕は思います!
(勿論、考えすぎると息が詰まる気持ちもわかるので、多様性な社会におけるジレンマですね。)
ホロコーストの恐ろしさはこちらの小説が1番伝わるかと…👇
👇小説の特徴はこんな感じ!
◾️まとめ
本記事では、『血液型診断』をテーマに
✅B型の特徴
✅血液型診断の歴史
✅血液型診断の信憑性
✅拡大解釈による個人的見解
を解説してきました。
本記事では、どちらかというと『B型は差別されて可哀想』と言う目線に立って書き進めました。しかし、社会で生きると言うのは『自分のみは自分で守らねばならない』ことと同義だと思います。
つまり、正しい知識を自分で手に入れ『B型批判を否定できるでけの知識を持つ』と言う結末も1つの正解だと思います。(実際、人はなかなか変わらないのだからB型の人はこちらのマインドが大切かも)
皆さんが、本記事をよんで何かしら思うところがあったのならとても嬉しいです!
以下本記事に出てきた参考リンクや記事です。👇
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それでは、また次回の記事で!